高卒で経営者として成功を収めた森山裕氏。
その後、政治家へと転身し、自民党幹事長に就任するなど注目されています。
彼の華やかなwiki経歴や、鹿児島出身ならではの地元愛がどのように政治家としての活動に影響を与えているのか、気になりますよね?
本記事では、森山裕氏の経歴や背景について詳しく調査しましたので、ぜひご覧ください。
森山裕のwiki経歴
- 生年月日: 1945年4月8日(79歳)
- 出身地: 鹿児島県鹿屋市
- 学歴: 鹿児島県立日新高校(旧鶴丸高校夜間部)卒業
- 職業歴:
- 1969年: 23歳で中古車販売業「ホンダモーターモリヤマ」を設立
- 1975年: 鹿児島市議会議員に初当選、7期連続で当選
- 1982年: 鹿児島市議会議長に就任
- 1998年: 第18回参議院議員通常選挙で当選(鹿児島県選挙区)
- 2004年: 衆議院議員に転身(鹿児島5区補欠選挙で当選)
- 2015年-2016年: 農林水産大臣に就任
- 2017年-2021年: 自民党国会対策委員長を歴代最長で務める
- 2024年: 自民党幹事長に就任
- 選挙歴:
- 参議院議員: 1期
- 衆議院議員: 7回連続当選
- 代表的な役職: 農林水産大臣、自民党国会対策委員長、幹事長、鹿児島市議会議長
- 選挙歴:
- 家族: 妻、娘2人、孫4人
- 趣味: ゴルフ、散歩【49】
- 特技: 地元・鹿児島の産業振興に関する知識と経験
- 身長: 公開されていません
- 所属政党: 自由民主党(森山派の会長)
- 座右の銘: 一日一生
森山裕氏は、鹿児島出身の叩き上げの政治家です。
高校卒業後、中古車販売業を立ち上げた異色の経歴を持ちながら、地元での政治活動を通じて成長し、国政へ進出しました。特に市議会議員として長期間にわたって地元の声を吸い上げ、鹿児島の政治や産業に深く関与してきました。
また、森山氏の政策やリーダーシップは、自民党の農業政策や地方振興に反映されており、農林水産大臣としての経験も非常に重要です。
農業分野における森山氏の功績は、自民党内での影響力を高める一因となり、長年の活動を支えてきました。
2024年に幹事長として再び重要な役職に就任し、党内外で安定した調整力と信頼を得ている森山氏は、今後も日本の政治に大きな影響を与える人物です。
森山裕は農家出身
森山裕氏は、鹿児島県鹿屋市で農業と新聞販売店を営む家庭に生まれ育ちました。
幼少期から家業の農業や新聞配達を手伝いながら学業を続けていたそうです。
インタビューで彼は、
「小中学生の頃、毎朝6時に起きて新聞を配り、桜島に一礼するのが日課でした」
と振り返り、その頃からの厳しい生活環境が現在の自分を支えていると語っています 。
農業についても、
「農作業が辛くて、これを一生やるのは嫌だと思っていた」
と明かしており、中学卒業後に農業を続けることを避け、別の道を歩む決心をしました。
その後、夜間高校に通いながら働くことで、違うキャリアへの扉を開きました 。
このように、農業や新聞配達の経験を通じて、彼の忍耐力と努力が培われたことは、後の政治家としての姿勢に大きく影響を与えています。
森山裕の学歴
それでは、森山氏の学歴について順番に見ていきましょう。
彼の学歴には、働きながら学び続けた「叩き上げ」のエピソードが詰まっています。
出身小学校
森山氏は鹿屋市立古江小学校を卒業しました。
この学校は、現在では閉校してしまいましたが、当時の地元の中心的な教育機関でした。
出身中学校
鹿屋市立花岡中学校を卒業後、森山氏は新聞配達や農業を手伝いながら学業を続けました。
森山氏は過去のインタビューで
「朝早くから新聞配達をし、その後、農業の手伝いもしていました。あの経験が今の自分の基盤になっています」
と述べ、当時の苦労を振り返っています 。
鹿児島県立日新高校を卒業
森山氏は、鹿児島県立日新高校(旧鶴丸高校夜間課程)を卒業しました。
この高校は夜間に授業が行われ、森山氏は
「仕事をしながら夜間高校に通うのは大変でしたが、それが唯一の楽しみでもありました」
と回想しています。
勉学への情熱と努力が、この時期に培われたことがわかります。
働きながら学び続けた森山氏の「叩き上げ」の学歴は、まさに現代の若者たちにとっても励みになりますね。
学歴や環境に左右されず、努力次第で何でも成し遂げられることを証明しています。
高校卒業後に中古車販売の経営者に
森山裕氏は、1965年に日新高校を卒業後、すぐに起業したわけではありません。
高校卒業後から23歳で中古車販売業を始めるまでの間、彼は地元の企業に就職し、自動車関連の仕事を経験しました。
この期間は、彼にとってビジネスや車の知識を身につける大切な時間でした。
森山氏はインタビューでこの時期について、
「高校を出た後、地元の企業で自動車整備や販売の仕事に携わりながら、業界の知識を深めていきました。いずれは自分で事業をやってみたいという夢がありましたが、そのために必要なことをこの時期に学んでいました」
と語っています。
そして森山氏が実際に起業に踏み切ったのは、23歳の時。
中古車販売会社「ホンダモーターモリヤマ」を設立します。
事業を始める際、
「若くしての起業は不安も大きかったが、自動車がこれからの社会に必要なものであるという確信がありました。地元の信頼を得ながら、少しずつ事業を大きくしていくことができたのは幸運でした」
と振り返っています。
若くして自動車業界に飛び込んだ森山氏。
彼のビジネスセンスは、当時からすでに非凡だったようです。
23歳での起業はリスクが大きかったはずですが、彼の挑戦は見事に成功しましたね!
1975年に市議会選挙に初当選
1975年、森山氏は鹿児島市議会の補欠選挙で初当選を果たしました。
当時の背景について森山氏は、
「事業を進めていく中で、地元のインフラや地域経済の問題に直面し、もっと地域に貢献したいという思いが強くなりました。そこで、政治に挑戦しようと決めたんです」
と述べています。
この初当選後も、地元住民との強い信頼関係を築きながら、7期連続で市議会議員として活動しました。
「政治に関わることで、自分が育った地域に直接貢献できるのは本当に嬉しいことでした。市民の声を聞き、それを政策に反映させることが私の使命だと思っています」
と、市議会議員としての姿勢を示しています。
事業だけでなく、地域への貢献を求めて政治に飛び込んだ森山氏。
その背景には、地元を良くしたいという強い思いがありました。
今も変わらず地元に根ざしたもので、そこが森山氏の強さなんですね。
1998年に参議院選挙に出馬し当選
森山裕氏は1998年の参議院選挙に自民党公認で鹿児島県選挙区から出馬し、初当選を果たしました。
この選挙は自民党にとって大きな転機となった選挙で、鹿児島県では森山氏と井上吉夫氏が2議席を独占し、9年ぶりの大勝利を収めました。
森山氏自身も、この選挙での勝利について
「地元の支えと、これまでの経験があってこその結果でした。特に鹿児島の皆さんとの強い絆を感じ、これからもその期待に応えたいと強く思いました」
と述べています。
この参議院選挙の当選は、森山氏にとって国政進出の大きな一歩となり、彼の政治家としての活動はさらに広がっていきます。
参議院選挙での勝利は、森山氏にとって大きな転機となりました。
地方から国政へと進出し、その存在感を大いに発揮しています。
やはり、地方出身の政治家が中央で活躍するのは胸が熱くなります!
2011年の鹿児島での談合疑惑
しかし2011年、森山裕氏は鹿児島県が発注した海上工事に関連する談合疑惑で注目を集めました。
この疑惑は、複数の業者からの献金が問題視されたことが発端です。
森山氏は、この問題が公になった際に迅速に対応し、最終的には受け取った献金を全額返金しました。
彼自身は
「法に抵触する行為は一切していない。献金については適切に対応したつもりです。地元とのつながりを大切にしてきたが、それが誤解を生んでしまったかもしれません」
と語り、辞任の必要はないとの立場を表明しています。
この疑惑を通じて、森山氏は信頼回復に努め、地元での支持を維持し続けています。
まとめ
森山裕氏は、地方の苦労人から政治家にのし上がった異色の経歴を持つ人物です。
高卒後に自らの手で中古車販売業を立ち上げ、地方政治から国政へと進出。数々の要職を歴任し、自民党の幹事長にまで上り詰めました。
その経歴は、努力と地道な活動が政治家としての成功につながることを証明していると言えるでしょう。